今は今の良さがある

潮来市潮来

スダ ヤスヨ

須田 八寿代

行方市出身。50年前に潮来市に嫁入り。現在はまちの洋品店を営む。

一どんな活動をしていますか?

 潮来市内で洋服店を営んでいます。まちの皆さんとつながる機会が多く、集会にもよく顔を出しますよ。
 「地域の皆様にお役に立てるお店」をモットーに頑張っています。和服から洋服へのリフォーム作業もしているんですよ。もう着なくなってしまった着物など、ありませんか?そのままタンスの中にしまったままにするのではなく洋服にして着直すこともできるんです。

一はじめたきっかけはなんですか?

もともとは行方に住んでいて、結婚してこの土地に来ました。現在は作業服や学生服を扱う洋品店を営んでいます。もともとお花に興味があってお花のカタログを見ることが好きでした。潮来に来てここに嫁いでからは、洋服のカタログを見る毎日。「こんなファッションもあるのね。」と勉強の日々でした。多方面に興味関心があるので、洋服の世界もなかなか楽しいなと感じています。
 うちでは様々な用途に応じたTシャツの刺繍やプリントもしています。茨城国体に向けたプリントTシャツはうちで作っているんですよ。このプリントTシャツや刺繍は、オリジナリティが出せると人気があります。

  • お孫さんのために作ったという一品。お孫さんがお祭り当日、機嫌が悪くなってしまったためお祭りにも参加できませんでした。一度も履いていない足袋。デビューする日が楽しみです。

  • 多くの学生服の取り扱いがありますが、もちろん紳士服・婦人服も。ぴしっとしたシャツに袖を通す瞬間って気持ちが良いですよね。

一一番大切にしていることはなんですか?

 今は今の良さがあると受け止めることです。
50年前は車を持っているひとは珍しく、ほとんどが路線バスや自転車で移動していました。商店街にある小さな店に、自転車で出かけることもよくありましたよ。肉屋さんや魚屋さん、いまでいう専門店がたくさんありました。どこの町にも「銀座通り」と名がつく商店街がありますよね。潮来や牛堀にも銀座通りがかつてはあったんですよ。時代が変わって、大きなスーパーがどんどん開店すると、そこですべて事足りてしまうので、街の小さな店がつぶれてしまいました。若い頃みたいにあちこち自由に行くのが難しくなったので、1つのスーパーで済んでしまうのはとても楽です。でも、肉ならあそこ、魚ならここ、というのが無くなってしまったのはやっぱりさみしいですね。
子供たちもどんどん少なくなっていて、今はここ(七軒町)に小学生が4人しかいません。それでもイベントの時にはみんなで楽しそうにしています。お祭りで山車がでると、遠くからでも子供たちはどの地区の山車なのかわかるようです。子供は少ないけれど、目を輝かせながらお祭りに参加する子供たちの姿は変わらないんですね。毎年うきうきしている子供たちと、元気はつらつになるおじいさんたちを見るのが楽しみの一つになっていますよ(笑)。

一今後の目標を教えてください

 街並みを大切にしたいです。お店も子供も少なくなってしまいましたが、とてもいい風景がまだたくさん残っています。街並みと人を大切に過ごしていきたいです。
街の様子を眺めるのも楽しいのですが、私はどんな方面にも興味を持つ探求心溢れる人間だと思っています。小さいころ水族館といえば、小さな水槽を眺める場所でした。それがいまではガラス一面に広がる大きな水槽です。いわしの群れが頭上を泳いでいるのを初めて見たときは、びっくりしました。いつかは沖縄の水族館にも行ってみたいですね。

アピールポイント

お花が大好きだという須田さん。種苗店が発行しているお花のカタログを見せてくれました。新しいお花の名前もこのカタログでどんどん記憶していくそうです。散歩していても、この花はあれだ、と気づきの連続で飽きることがないんだとか。

-コーディネーター紹介-

お店がある潮来市潮来七軒町では春と秋に「五社祭」というのが行われているそうです。もともとは男性が仕切るお祭りでしたが、だんだんと女性が増えていきました。しかしここ最近、男性の姿もちらほらとみられて、「どうしてだろう、不思議だな」とお話していました。歴史にも関心がある笑顔が素敵な方でした。

ID 潮来市

さとうあやき

佐藤彩希

2018年に潮来市地域おこし協力隊に着任したばかりの札幌出身の私。水戸には3年間住んでいたけれど、潮来に住むのは初めてです。読書、マラソン、バイク…けっこう多趣味です。「潮来行きたいけど、今日混むかなあ?」なんて悩みがあちこちから聞かれるようなまちづくりのお手伝いをしていきます。