北仙道百姓物語100章

益田市

やまね けんじ

山根 健治

島根県益田市出身。15歳で大工になるために、岡山へ。時がたつにつれ子供のことを考えるようになり、家族で地元益田市北仙道地区へUターン。益田市で58歳まで大工業を営む。その後、「北仙道の明日をつくる会」で活動を始め、現在は米を中心に農業活動を行っている。

一どんな活動をしていますか?

15歳から大工がしたいと思い、岡山へ飛びました。そこから25歳まで岡山で活動しUターンで益田市に家族で引っ越したんですよ。子供のことを考えたら益田に帰りたいと思ったんです。そこから58歳まで大工を続け、息子が継ぐと同時に百姓で食べていきたいと考えるようになり、農業へと切り替え、今は主に米を生産してます。からしなども作っていますよ。今年は小豆も作ってみたんです。一つ一つの選別がこんなに大変だとは思わなかったですよ。アスパラも植えたので来年の収穫が楽しみだね。
それから、「北仙道の明日をつくる会」の課題解決部会で地域活動をしています。この会には3つの部署があり、課題解決部会のほかに、定住促進部会、つながり部会があり、私が属している課題解決部会では、高齢者の方々のお手伝いとして土地の草刈りなどをしています。人数は10~12人で活動していて今のところ活動は2件ほど行いました。これからの時期、稲刈りの作業が終わるので、増やしていきたいですね。
北仙道の明日をつくる会ではFacebookを更新しています。皆さん見てみてくださいね。

一はじめたきっかけはなんですか?

農業は作物を自分で作りますよね。いろんな作物を育てるのが楽しいんです。しかし実際にやってみると全く違い、お米は春先に植えて、秋に収穫するだけではうまくいかない時期もありました。お米はこまめに手入れをしなきゃいけないんだなって思ったんです。イノシシ被害も多くて、田んぼの泥んこで寝っ転がるんですよね。そうすると稲は倒れてダメになるんです。さらには実の部分も食べてしまうんです。これから生産してくうえでイノシシ被害についてはしっかり考えていく必要があります。
農業委員として農業をしているうちに、遊休農地に目がいくようになって、市役所から依頼さて、放置された田んぼの手入れをしてお米をもっと多く作ろうと考えました。
百姓一本で食べていくことを決意したのは単純に楽しそうだったからですよ。

  • 左から2番目、山根さん。

  • 北仙道公民館にて。下段右から2番目、山根さん。

一一番大切にしていることはなんですか?

やっぱり品質にこだわったお米を作ることですね。手間暇かけたお米とそうじゃないのとでは明らかに違うものになります。やっぱり、苗の管理をしてから水の管理、それから成長した後また、草を刈ったりせんといい米はつくれないんです。農業をやっているとやっぱり売れた時がうれしいね。それと、地域の人に直接販売してお客さんが喜ぶこと。これが、やりがいになっています。それから、もっと遊休農地をなくすことも心掛けてます。

一今後の目標を教えてください

来年度(2019年度)から農業法人を立ち上げて、従業員3人で活動しようと考えています。やっぱりこれからは、遊休農地が増えていくので、今までの田んぼが荒れてしまうんです。そこをしっかりと管理していきたいです。高齢化が進むとそういうことは避けられないです。
他にも、加工食品が作れるように保健所と相談しながら整えています。
つながり部会にいるヨメナ会の女性たちがもっと商品を販売できるようにもしたいですね。もちろん私の野菜たちを使いたいです。
農業法人を立ち上げたら農地が少しずつ拡大していくと思います。高齢化が進んでいる以上仕方のないことですが、これからも遊休農地を減らしつつ自分が好きな野菜や米を育てていきたいです。

編集後記

2018.12.02 海老名 快 (えびな かい) 19歳
15歳で大工の道を決め、58歳で新しく百姓として生きる道を選んでいました。
誰よりも発言し誰よりも行動する山根さんのように私はなりたいと思いました。

-コーディネーター紹介-

島根県

だいがくせいらいたー

大学生ライター