若者とつながる!イケイケ食堂

川本町

わたづたかふみ

渡津孝文

川本町生まれ川本町育ちの42歳。町民から愛される川本食堂の二代目店主。高校卒業後、県外で料理関係の仕事に携わる。その後、Uターンし町内企業に就職、商工会青年部部長を経て店を継ぐ。家業である川本食堂を営む傍ら、商工会と島根中央高校が共同開発した「エゴマ塩だれ丼」のプロデュースや、毎週月・水・金曜日の島根中央高校への弁当訪問販売など、積極的に若者との交流を行っている。

一どんな活動をしていますか?

親の代で創業して私で2代目なんですが、町内で川本食堂というお店を営んでいます。昼は食堂としてランチを出して、夜は居酒屋をやっています。外から見れば居酒屋というイメージが強いですね。夜はお客さんがいるまで、大体23:30くらいまで営業しています。メニューで人気なのは、昼だと丼物と麺類で、特にお客さんからお墨付きなのは「チャーシューメン」です。私としても、チャーシューは丹精込めて作ってますからね。お客さんから好評なのは嬉しいですね。
他にやっていることとしては、月・水・金曜日のお昼休みに、地元の島根中央高校に揚げたての唐揚げ弁当を売りに行っています。もちろんできたての唐揚げを持って行くのは手間がかかるけど、やっぱり温かいものを食べて欲しいですから。だって、冷たいのより温かい唐揚げの方が絶対美味しいし、冬場なんか温かいもの食べたらホッとしますよね?(笑)
そういうこともしてたら、高校生たちと接点を持つようになって、町で高校生と会うと、「おっちゃんなんで昨日来んかったん??」って、向こうからタメ口で話しかけてきます(笑) 。おっちゃんかぁ(苦笑)。でも、そういう若い子たちとの接点ができて話せる機会ってなかなかないし、私は嬉しいです。

一はじめたきっかけはなんですか?

ウチは親の代から始まった店なんですけど、高校を卒業してからはすぐに継がずに、一回県外に出て料理関係の仕事をしていました。そこで働いているうちに、そろそろ地元に帰って店を継ごうかなぁと思う時期が来たからUターンしたんですが、まだ親も元気にバリバリ仕事してたから、帰ってすぐには店を継がずに、暫くは地元の企業に就職していました(笑)。そして、私が30代半ばくらいの時に自分が体調を崩したので、ここがタイミングかなって思って店を継ぎました。

一一番大切にしていることはなんですか?

やって終わりじゃなくて、継続していくことですかね。ウチのメニューにある「エゴマ塩だれ丼」は、実は地元の島根中央高校の子たちが考えてくれたメニューなんです。実際に、提案してくれたアイデアを採用して、今でもお店のメニューとして出してます。私はそういう子どもたちが折角提案してくれたアイデアを、提案して終わるんじゃなくて、それをイベントで実際にやってみたり、お店のメニューとして出したりしてやりたいと思っています。そうやってやり続ければ、将来その子たちが川本町に帰ってきた時に「私たちが考えたエゴマ塩だれ丼まだやってる!」ってなって嬉しいでしょうからね(笑)。その結果、少しでも「川本町で商売やってみようかなぁ」って思ってくれる子がいればいいですね。

一今後の目標を教えてください

みんなが集まれる場をつくりたいと思っています。地元の連中も、地域おこし協力隊のようなIターンで来た人も、ざっくばらんに集まれる大衆食堂のような場所を私は作りたいです。やはり、地元の人とIターンで来たような人との接点を作って結んでいくのって中々難しいんです。地元の人が外から来た人に「うちに遊びに来てくださいよ!」とは中々言いづらいし、「一緒にワイワイしようよ!」って言っても、外から来た人からすれば、ちょっとそこまでは求めてないな、、ってなると思います。一方通行だと、どうしても距離ができてしまうから、そうじゃなくて、ざっくばらんに互いが互いの距離感で歩み寄れる場があればいいと思うし、そんな場を私は作りたいと思っています。

編集後記

小坂 健介(こさか けんすけ) 20歳
見た目はダンディでハンサム。そして中身は行動派でアクティブ。そんな渡津さんのお話を聞いていると、いつの間にかワクワクしている私がいました。渡津さんの今までやってきたこと、そしてこれからやりたいことには、他人までを巻き込んで共感を呼ぶものだと感じました。もし、私の地元に渡津さんのような方がいたなら、「また地元に帰りたい!」って心から思います。

-コーディネーター紹介-

島根県

だいがくせいらいたー

大学生ライター