山林と共に生きる自分らしい楽しみ方

長野県天龍村

むらまつ きゅういち

村松 久一

曾祖父の代からの森70ヘクタールを18歳から50年以上にわたり管理。 現在森は甥に託し、林業の一線からは引退したものの、林産物である「きのこ」を村の特産品にしようと日々勉強中。 天龍村の山の暮らしを知り尽くした達人!

一どんな活動をしていますか?

天龍村で林業を営んでいました。林業そのものは甥に託しましたが、全国的な林業の衰退から、このまま従来の林業を進めるわけにはいかないと、針葉樹林から広葉樹林への移行を進め、木材の新しい転用を模索しています。現在では、広葉樹(コナラ)由来のウッドチップを活用し菌床キノコの育成・栽培に力を入れています。純国産のウッドチップ、菌床から原木キノコに負けないくらい美味しくて健康によいキノコの研究に取り組んでいます。

林業のこれからの可能性を考えつつ、山林との生き方について、林業を知らない人々に林業の良さを広めるために、森林林業体験を受け入れも行っています。また天龍つなぐカレッジの一環として、「キノコ山」を整備しています。多くの人がキノコ山を通じて山林の美化、キノコの育成に関わることで、天龍村の9割以上を占める山林とヒトとをつなげることを試みています。

他にも、国の重要無形民俗文化財に指定されている天龍村の霜月神楽の一つである「向方お潔め祭り」にも関わっており、天龍村の文化を大切に後世に受け継ごうと尽力しています。日本全国の神楽祭と一括りになりますが、ユネスコ無形文化遺産への登録検討にも着手しています。

一今やっていることについての課題はなんですか?

多くの林業家、天龍村の多くの営みを通じて共通しているのが後継者問題で、一番頭をかかえる問題です。林業を、山林と一緒に生きていくことについて、次世代を担う人々に向けて、どれだけ魅力のあるものにできるか、それを発信できるかということが課題だと思います。

林業という職業は体力的に大変厳しく、危険が伴う仕事です。それに見合うだけの対価は得られるかというと、昔はそれなりの価値で材木を売ることができましたが、現在ではその価値も半分以下になっており、決して裕福に暮らせる仕事というわけでもなくなってきました。

そのため、林業の新しい魅力づくりのひとつとして、私は純国産の菌床キノコの栽培に挑戦しています。私は幸いにも新しい魅力を見つけ出すことができ、大変ながらも楽しく仕事ができています。

一課題を乗り越えたらどんな可能性がありますか?/ITを使ってできそうなことはなんですか?

多くの人が林業に興味をもち、林業の存続と発展がかなうなら、山林が多くを占める天龍村で林業が復興し、人々の交流が進むのではないでしょうか。
個人的にFacebookやLINEを使用して東京の方との関係を築くことは進めていますが、コロナ禍の中で一部停滞している取り組みもあります。多くの方とのつながりが簡単に進むのであれば、他の山林地区と連携も期待できそうです。

一今後の目標を教えてください

天龍村でつくった純国産の菌床キノコが、天龍村を盛り上げる新しいブランドできたらいいですね。よりよいキノコ作りに励んでいますので、その取り組みや天龍村産のキノコの価値をまずは身近な人から、そして多くの人に知っていただければ、とても嬉しく思います。

またキノコ作りだけではなく、天龍村の文化の存続と発展、ひいては山林とともに生きる楽しさの再発見につとめてまいりますので、こちらも多くの人の興味になって、一緒に関わりあいをもって、実現できるようにしていきたいと思います。

編集後記

現在の林業に限界を感じながらも新しいやりかたを模索する、山林に寄り添いながら自分のやりたいことを楽しんでやりきる。そんな信念を感じながら、それに関わる人々を楽しませようと考えていらっしゃる姿勢に感銘を受けました。村松さん御自身の山の木を売って祭りの費用にするなど、天龍村への愛も強く感じました。いずれの取り組みも多くの人に知ってもらえるように一緒に考えていきたいと思います。

-コーディネーター紹介-

ID 島根県美郷町・長野県天龍村

ひさだ よしひろ

久田 芳裕

2006年 株式会社VSN入社
営業職として、IT系や、メーカーのお客様を中心に、ソリューション提案を行っている。お客様の問題解決に幾度となくかかわった経験を社内貢献に生かそうと、地方創生プロジェクトに参画する。