“農業はゼロからでもスタートできる”という証明を私たちでしていきたい

福島県田村市滝根町

イナフクユリ

稲福由梨

1985年3月26日東京都江戸川区生まれ。 東京で管理栄養士と調理師の資格を取り、給食施設に勤務。農業や野菜へ関心を持つようになり、全国各地の農業体験ツアーに参加。福島の農業体験ツアーで、当時ツアーの受入をしていたご主人と出会い、結婚。結婚式前日に東日本大震災が発生し、放射線や農業再開への心配などで週末に福島へ通い続けたが1年後福島県田村市へ移住。ご主人の農業を手伝いながら、小学校の栄養士を務め、2013年1月に「福福堂」を立上げ代表となり、2016年4月に本格的に農業や加工業をスタート。

一どんな活動をしていますか?

田村市滝根町で、夫婦で農業を営んでいます。私たちは土のそのままの力を信じて農業をしたいので、無農薬・無化学肥料栽培の農業をしています。 田んぼでは黒米・うるち米・もち米を、畑ではエゴマやブルーベリーを栽培しています。ただ作物を作るだけではなく、作ったものを加工する施設を作り、「福福堂」と名付けて加工業も営んでいます。そこでは、黒米を使った黒米甘酒・黒米ドーナツ・ブルーベリージャムを作り、他には米粉・黒米うどん・エゴマ油・ブルーベリーとめぐすりの木のドリンクを委託して販売しています。特に黒米甘酒は、リピーターさんも増えて人気があります。他にも地元の農家さんから、加工品作りを受託して商品化もしています。 また、さまざまな世代の方に農業の楽しさを知ってもらいたくて、農業体験ツアーも行っています。県内外の方が参加してくれて、「農業って楽しいですね」と言ってもらえるのがうれしいです。 他に、調理師の資格を活かして黒米のおはぎ作りやジャム作りで親子料理教室をしたり、移住した新規就農者として県内外で農業の魅力をお話しさせていただく機会も増えました。

一はじめたきっかけはなんですか?

滝根町に移住したきっかけは、農業体験ツアーに参加するうちに滝根町の人と土地を好きになっていったことが大きいです。そして、新鮮な野菜のおいしさに驚きました。こんな美味しいものを作っているのに後継者は不足している。この先の農業はどうなってしまうんだろうと思ったんです。実は、その時の受け入れ農家が今の主人でした。その出会いをきっかけに主人との交際が始まり、結婚すればこの地で農業もできるという想いもあり、結婚と移住を決意しました。 結婚式の前日に東日本大震災・原発事故が起きました。そんな中で、なんとか無事に式を挙げる事ができました。滝根町は原発から32kmの距離で、震災の被害や放射線の影響が心配でした。私は家族の心配や今後の農業についての不安もあったので、すぐに滝根町へ移住せず週末だけ1年間通いました。主人は滝根町に残り、この土地で本当に農業ができるか1年間試験的に農業をしました。その結果、作物に基準値以上の放射性物質は検出されないことがわかりました。滝根町に住む人々も通常通りの生活をしていて、主人や町の人々の暮らしを見てここは住んでも大丈夫と確信することができました。2012年3月に滝根町に移住し、小学校の栄養士として働きながら、主人の農業を手伝うことから始めました。 その後、福福堂を立ち上げたのは、農業だけで生計を立てていくことが厳しく、付加価値をつけた加工業もやっていこうと夫婦で考えたからです。震災後1年間は試験的な農業をしていたので収入も少なく、生活も楽ではありませんでした。加工場を作ることが決まったあとは、幸運ながらトントン拍子に話が進みました。近くの給食センターの閉鎖で格安の厨房機器が手に入ったり、国の復興支援事業の力を借りたりして、加工場を作りたいという夢が叶いました。普通に貯金をしてから立ち上げようとしていたら、私たちの夢はまだまだ叶わなかったかもしれませんが、震災後の福島は農業者を支援する制度がたくさんあります。そういった意味でも私たちはチャンスを掴みやすかったのかもしれないですね。そして、2013年1月に「福福堂」を立ち上げて代表になり、2016年4月に本格的に農業事業を始めました。

  • 自宅の隣に設けた加工場は、自然エネルギーで電力を賄いたいという想いから、太陽光パネルを設置。「福福堂」のブランドである黒米甘酒やジャムもここで作られています。地元農家からも委託を受けて加工食品も作っています。

  • ご主人は沖縄生まれの東京育ち。「緑のふるさと協力隊」として滝根町に派遣されたことをきっかけに、14年前から滝根町に移住して農業を続けています。 写真は、田村市の特産品「エゴマ」を収穫している様子。

一一番大切にしていることはなんですか?

主人は、「私たち人間は、地球を間借りしているだけ。汚さず次に繋げなくてはいけない」という考えを持っています。だから「大気・水・大地を汚さない事」にこだわって無農薬・無化学肥料栽培をしています。 そして、「土の力を信じて育て、味と質にこだわったものを提供したい」という主人の想いにも共感しています。 夏の暑い中での草むしりや、天候に左右される農業は大変だけど、充実してます。苦労して育てた収穫の喜びや、自分達で決めて仕事を進めていける事、商品を作っていく事が楽しいし、やりがいがあります。 さらに、農業を通して色んな縁が繋がったり、楽しさを知ってもらえるのがうれしいし、そんな繋ぎ役として役に立ちたいと思ってます。

一今後の目標を教えてください

家族が農家で苦労している姿を見て、マイナスなイメージを持ってしまい農業から離れていく人達もいると思います。私たちは移住者同士、農業も初心者だったため、何も知らないからこそ逆にスタートできたのかもしれません。 福島は震災の影響で風評被害や放射線に関しての課題もありますが、農業者を支援する制度に力を入れています。支援の力を借りることができたら、チャンスも掴みやすいと思うし、田舎に住むことによってやりたいことやビジネスも見つけることができます。 今後は、滝根町の特産品の山ぶどうの栽培や新商品の開発、農家民宿に挑戦したいと思っています。この場所を色々な世代の方々が田舎に触れる場所にしていきたいですね。

アピールポイント

福福堂で一番人気の「黒米甘酒」は、こだわりのお米を麹にしたものと、無農薬・無化学肥料栽培で作った黒米をじっくり発酵させて作っています。自分たちで何度も試作を重ねて完成しました。牛乳や豆乳で割るとさらにまろやかになっておいしく、女性や小さなお子さんに人気なんです。砂糖は一切使っておらず、自然な甘みを感じられるようにしていることもこだわりのひとつです。2014年には黒米甘酒・黒米うどん、2015年にはブルーベリーとめぐすりの木・ブルーベリージャムで「ふくしまおいしい大賞」の優秀賞を受賞しました。 日本の各地で農業の後継者が不足し、農業の継続が厳しくなっています。日本の農業をなくさないためにも、多くの人に国産の食べ物を選んでいただけるよう、安心でおいしい食べ物を提供していきたいと思っています。

-コーディネーター紹介-

稲福さんは、落ち着いた雰囲気を持ちながら、行動力と決断力のあるとても強い女性だという印象を持っています。震災があり、原発事故があった福島県で、農業をやっていくのは勇気のあること。そしてさらに、無農薬・無化学肥料栽培で農業をやっていくというのは、ハードルも高い。そんななか、実際に自分で滝根町に来て、旦那さんやそこに住む人々の暮らしを見てここに来て農業をすることを決めてくれました。そんな女性が来てくれたことはこの地域にとってとてもありがたいことだと思います。今後は、新しい商品の開発も検討しているそう。「病気をしてから、体に良くておいしいものをつくりたいと思うになった」と語る稲福さん。これからもそんな商品を作り続け、地域の良さをたくさん表現していってほしいと思います。

ID122 福島県田村市

たむらしふっこうおうえんたい】なかおかありさ・わたなべえり

【田村市復興応援隊】中岡ありさ・渡邉絵里

中岡ありさ 東京都出身。東京の大学卒業後、福島県で復興の仕事をするため2014年4月福島県に移住。2014年8月より現在まで田村市復興応援隊として田村市の復興支援・地域おこし活動に携わる。 渡邉絵里 福島県田村市出身。一般企業に勤めながら地域のイベント運営・企画・観光地のPRを行っていた。東日本大震災を経験し、2016年3月より現在まで田村市復興応援隊として活動。また、田村市・田村郡の情報発信番組をyoutubeで公開中。