「終わりない。。。」教師だから

北海道豊浦町

ヨネナガヒロシ

米永宏史

1972年8月25日石川県金沢市生まれ。大学在学中、アメリカのサクラメント・シュタイナーカレッジでシュタイナー教育委触れる。神戸の教育関係起用を退職後、1999年より北海道でいずみの学校設立に関わる。2001年よりNPO法人シュタイナースクールいずみの学校、2008年より学校法人北海道シュタイナ―学園に勤務。体育担当。

一どんな活動をしていますか?

シュタイナー教育は「自由への教育」と呼ばれます。 「自由な教育」と「自由への教育」には、どちらも自由があります。この二つに違いがあるのでしょうか? 「自由な教育」というと、勝手気ままなという印象を持ちます。 シュタイナー教育は「自由への教育」です。大人になった時に、しっかりと地に足をつけ、自ら考える行動でいる人を育てる教育です。  子どもが小さい時に、教師の話をしっかり聴くことによって付く聞く。その力は大人になってから、自分の内なる声を聴き、自らの正しい想像力で、夢を実現していくことにつながります。 内なる思いを実現する想いを積み上げる。 これが、シュタイナー教育における「自由への教育」です。

一はじめたきっかけはなんですか?

大学在学中、アメリカのサクラメント・シュタイナーカレッジでシュタイナー教育に触れた時に魅力を感じ、こんな教育を受けたら子供たちは幸せ、素敵な大人になると将来性や未来を強く感じた。  その後も、その学んだことが朝日新聞の教育の特集記事となっていて目から鱗の記事でハートに刻印され染みつけられ、ずっと頭から離れなかった。  神戸で教育関係企業で働きながらも「自分自身の生き方ややりたい事」を自問自答していた。そんな中、アメリカで知り合った女性が北海道でシュタイナー教育の学校を開校すると朗報が入り、連絡をとり北海道に移住を決めた。   一人の不登校の子と知り合った。親御さんも教育に悩んでいたため、その子のためにも週一授業から始めた。以後、全日制となり、一人の生徒のために9人の先生がボランティアから始まった。アットホームの学校となり、次から次へと応援してくれる方が集まり学校もどんどん大きくなっていった。

  • 英語教師、エリック・コンロ―先生と冗談を言いながら玄関入り口にて 二人は仲良しで英語でずっと話をして笑っていました。

  • サッカー、ハンドボール、アメリカンフットボール、スキーと多趣味の宏史先生。ふざけてテニスでもやろうか?という所を止めて「いずみの学校」前ですました宏史先生をパチリ。

一一番大切にしていることはなんですか?

教師として大切にしていることの一つとして  以前読んだある本の中に「子供を教育する事は出来ない。」という一節を見て、大変共感し、目から鱗だった。そして、子供の才能を引き出し、才能を受け、自分がそれをどう良く変えていくかを心掛けている。 教師である以上、終わりはないと思っている。 また、人との繋がり、出会いをとても大切にしたいとも語り、古いかもしれないけれど「一期一会」だと思うし、出会いを楽しみたいし大切に感じているため、良い出会いをしたい。 「自己=自分が自分を一致していない。他人のために生きない」 生徒たちが自分がやりたい事、そこを目指せるようにサポートし、周りに依存されされず、自分の意思を持ち、人に振り回されない生き方をしていってほしい。

一今後の目標を教えてください

持続可能な学校作りを目指している。 終わりなく、ポジティブであり成長し変わっていく。 また、感心し導かれるように考えていきたい。

アピールポイント

「こんな学校あったんだ!」という本も出版中。 宏史先生の想いや関係者皆さんの想いがぎっしりつまった一冊です。 近年注目を集めるシュタイナー学校。その中でも国に認可された学校は全国に2校しかなく、その1校が北海道虻田郡豊浦町の「いずみの学校」です。

-コーディネーター紹介-

子供の教育に対してとても熱心で目を輝かせながらお話して下さいました。シュタイナー教育は最近人気もあり注目を浴びている教育です。豊浦町という小さな町にありますが、日本全国から移住をされ「いずみの学校」に通わせたいという親御さんが続出。その為、豊浦町も人口が少しずつ増えています。「青空教室」もあり自然に恵まれた豊浦町でエネルギーをいっぱいに受け、自然そのものが「先生」のようです。また「思考的」「芸術的」「活動的」な学びをバランスよく配置されています。私も子供時代こんな教育を体験してみたかったなと感じました。私は子供たちの「根拠のない自信」が好きです。それは先生や親たちの肯定力が必要だと思います。この「いずみの学校」は他人も自分も認める肯定力が高く、何事にも挑戦し恐れを感じない姿が素敵だなと感じました。

ID127 北海道虻田郡豊浦町

かんのさおり

菅野小織

1974年11月22日生まれ。宮城県仙台市出身 東日本大震災後、宮城県仙台市から北海道へ移住。仙台市ではオーガニックレストラン(マクロビオティック) の調理担当、イベント企画担当、料理教室アシスタント等の仕事をしていました。移住後、洞爺湖町でカフェを開業し、食の大切を学び、農家の手伝い等していました。その後、豊浦町の地域おこし協力隊となり、農政を担当しております。  震災では父と友人を亡くし、家も半壊。ライフラインもない生活が1ケ月半続きました。その時に、自給自足に近い生活をしたいと思いました。仲間で持続可能ライフをおくっております。「トランジション蝦夷」という市民団体も仲間と立ち上げ日々、楽しく過ごしております。