一どんな活動をしていますか?
お寿司だけではなく、裏メニューでカルビ丼や焼き魚定食も作っています。埼玉や神奈川出身の高校生が多いので、ホームシックにならないように思いを込めて、大盛りにしています。とても喜んでくれますね。あとは梅干しも漬けていますよ。おいしいと言ってもらえると嬉しいですね。お店には川本の方はもちろん、インターネットをみて広島から来る方や、海外からの方もいます。イベントが重なると、そのついでにこの店に来てくれますね。この前は法事が二件重なり、配達もしました。ちなみに領収書はオリジナルなんです。隣のベスト電気の三宅さんが作ってくれていて、日付を自分で書けて、裏に三江線の記念スタンプを押せるようになっているんですよ。記念になるでしょう!
一はじめたきっかけはなんですか?
昭和40年6月1日、もともと寿司職人の修行をした兄が立ち上げたお店なんですよ。当時19歳の私も手伝っていましたが、兄に教え込んでもらって、開店してから3年後ぐらいで自分がお店を引き受けました。調理師免許を取らなくてはいけないので、右も左もわからず、最初は大変でしたね。当時は続くか心配でしたが、飽きることなくやっています。
一一番大切にしていることはなんですか?
食材のチェックとお店をなるべく開けておくことです。
〈食材チェック〉
衛生管理や、先を見越して仕入れ量を考えています。自分の手で握った商品をお客さんに出すので、指の溝や爪の先まできれいに洗ったり、冷蔵庫の中の食材をきちんと管理したりと徹底してきたので、53年間事故は一度もありませんね。
〈開店時間〉
いつでもふらりと入れるように、ほとんど毎日14時まではお店を開けています。入ろうと思って来たときに閉まっていて、がっかりされたくないんですよね。私たちが休憩時間をどこで過ごしても変わりませんからね。一時期は、夕方の5時頃には席の争奪戦、深夜の3時までお店を開いていたこともありました。常連の方と夜まで飲むのも楽しかったですね。
【宝物】
三江線が走っていたころのお客さんからの提案で「思い出ノート」をお客さんに書いてもらっています。5年ぶりに来たお客さんが、自分のページを見返すこともあるんですよ。私も何度も見返しますよ。これは宝物ですね。本にしようかとも思いましたが、元のままがいいですね。
一今後の目標を教えてください
娘が三人いて、その孫も手伝ってくれるし、お店は死ぬまでは頑張りたいですね。そのあとは決まってないんですけどね。やるには大変ですから。
あとは川本町に若い人が来てほしいですね。でも町全体としても仕事がなかったり、遊ぶ場所が少なかったりするから、若い人が入ってきにくいんですよね。昔は地域で芋ほりをして、子どもと触れ合うイベントなどが多かったけど、今は少ないですね。町内で集まる場所とかがあればいいね。
編集後記
髙見堂亜美(たかみどう あみ)22歳
川本町の方は笑顔満点、楽しく生きるスペシャリスト!
就職どうするとか、目先のことばかりに気を取られていて、根本的な生き方を見失ってはいないだろうか。生きるヒントが、この町には詰まっている。生き方に迷ったら、ふらりと立ち寄りませんか?