みんなが集まる場所を鉾田で作っていきたい!

茨城県鉾田市

むろ ともみ

室 智美

茨城県鉾田市出身。 フリーの音楽療法士として、鉾田を中心に様々な場所でニーズに合わせた音楽療法を行っている。

一どんな活動をしていますか?

フリーの音楽療法士をしています。お子さまから高齢の方までを対象に音楽療法、イベントなどを行っています。音楽療法に年齢は関係なく、小さいお子さんから高齢者の方まで、それぞれのニーズに合わせて音楽を提供しています。歌を歌ったり、楽器を使って演奏したり、音楽に合わせて体を動かしたりすることで、身体機能やコミュニケーションの活性化を図っています。

音楽療法士によって色々なやり方があるのですが、私の場合、高齢者の方を相手にする際は童謡や唱歌歌謡曲だったり、70~90代の方もいるので昭和の古い歌とかも歌ったりします。童謡・唱歌をみんなでピアノの伴奏に合わせて歌ったりしています。ギターでやる人もいますが、私は基本ピアノですね。

また、歌詞カードをホワイトボードに貼って、姿勢が前に向かうようにしていただいて歌ったりします。そこで歌うだけでなく、季節の歌である「たきび」などで身体を動かしたりします。例えば、「グー・チョキ・パー」の動きは普段あまり使わないので、結構難しいのですが、速くしたり、ゆっくりしたりして、しっかり動かしていただいています。
さらに、その歌詞に合わせた動きもします。

例えば「たきび」の歌に「さざんか さざんか」という歌詞があるのですが、手でお花を作り「ここで手首を捻るよ」と言ったりしています。また、「しもやけ」の動きに合わせて手をさする動きをして「暖めて」と言ったり、足を動かしたりとかもしています。

Q:初めはどのような形で活動をされていましたか?
大学で音楽療法を勉強し、卒業後に資格試験を受けました。地元に戻ってきたかったのですが、音楽療法士として働ける場所が東京や千葉など他県のようになかなかありませんでした。

そういったこともあり、初めは「戻ったところできっと音楽療法士として働けない」と思い、障害者支援施設などで現場の職員として働いてました。高齢者や障害の重い呼吸器を着けた方、自分で歩くことができない方、知的障害の方など、重い障害のある方が入所している病院でも働いていました。

働いていた所で音楽療法を行えた時もあったのですが、時間に追われてなかなか(機会が)少なかったですね。そこで休みの日などを利用し、施設に自分で電話したりして、ボランティアという形で音楽療法士をさせていただきました。

Q:地元に戻りたかった理由は何ですか?
生まれ育った場所だったからです。大学が群馬だったのですが「どうしても早く(地元に)戻りたい」と思いつつ、「きっと鉾田で音楽療法をやっている人はいない」とも思いました。
そこで、生まれ育った所で音楽療法を「自分で広めたい」と思いました。

Q:音楽療法士を目指したきっかけは何ですか?
小学生の時から習い事をいくつかやっていて、唯一続けられたのがピアノでした。ピアノが好きで、ピアノの先生になるのが夢でしたね。
続けていくうちに「無理だな」と思った中で、父が病気を患ってしまい、中学2年生の時に亡くなってしまいました。

それをきっかけに、「音楽で病気の人などに何かできないか」と思ったことが最初のきっかけです。また、音楽療法士という職業は、高校に入り、たまたま楽器屋さんで売っている本で見つけました。そこには「病気や障害などハンデのある方に、音楽を使って健康の維持や改善ができる仕事」と書かれてありました。

「私がなりたいのはこれかな」と思い、その後特別支援学校等のボランティアに行ったりしました。高校2~3年生の時には、母が統合失調症になり入院していました。その時は病棟に面会に行けず、「何かできないか」と思ったことが大きいです。障害や病気の人に音楽療法で支えたいと思いました。

Q:うれしかったエピソードはありますか?
デイサービスに週に1回来ている80代の女性がいるのですが、通い始めた頃は「腕が上がらない」と言っていました。週に1回来ている日は私が音楽療法を行う日で、身体を動かす活動を必ず取り入れるようにしています。
ただし皆さんご高齢なので無理はしないように声がけを行いつつ、動かせるところは動かしていかないと低下していくと思い、色々取り組んでいます。

その方が何ヶ月か経った頃に「腕が上がるようになった」「音楽でやったからだよ」と言ってくれました。きっと他にもいろんな要素があったと思います。また、最近私が週に1回行っている所には、結構しっかりしている方とかもいらっしゃるので、毎週のように皆さんが「音楽を楽しみにしているよ」と言ってくれます。

このように言ってくれると、これからも続けていくモチベーションに繋がります。どの年代においてもですが、笑顔を見れた時や表情が変わる時が一番うれしいなと思いますね。

Q:「音楽の力」を感じることは多いのでしょうか?
多いですね。高齢の方だと、20~30代の若い頃に聴いた音楽を聴くと、昔を思い出したりして、その時の事を自ら話してくださる方もいます。よく童謡や唱歌を歌いますが、「私が小学生の時の歌だよ」と話す方もいます。
また、「学校の帰りに歌った」「お兄ちゃんがいたからよく聴いた」とおっしゃる方もいます。音楽というのは、昔の思い出に結びつくと感じていますね。

Q:COVID-19による影響はありましたか?
筑西市に月1回行っていた時があったのですが、「近隣で感染した方が1人いて、感染経路不明なので来ていただくのは何かあった際に申し訳ないから」ということで、半年以上行けていません。鉾田市内の施設に本来は4月から月1回行く予定だったですが、新型コロナウイルスの影響で入れなくなってしまいました。場所によっては2ヶ月間動けなかったりもしました。

このような中で日本音楽療法学会から「デメリットもあるけどこのような状況下ではオンラインでの方法もある」という通知が来ました。音楽療法をオンラインでやっている人もいて、一度考えたのですが、私は無理だと思いました。

呼吸器を着けている方の音楽療法を月に2回やっていて、そういう方にはオンラインではなく、「面と向かってやりたい」「直接関わりたい」という思いがあるからです。そこではLINEを活用して演奏を送ったりもしました。また、施設では現在マスク着用でやっていますが、やはり離れての介護は難しいですね。

Q:音楽療法専門の職員になればやりやすくなったりするのでしょうか?
そうなんですよ。ただ、なかなか施設の中で音楽療法だけで働くのは難しいところでもありますね。また、施設内で音楽療法を行う際には、利用者さんにもマウスシールドをつけてやっています。私はフェイスシールドを着けて口元がちゃんと見えるようにして、皆さんに離れて座っていただいたりしています。やはり口を動かさないと低下していく上、人との関わりも無くなってしまうので、注意しつつ取り組んでいますね。

一今やっていることについての課題は何ですか?

フリーなので、スケジュールの調整は大変かなと思うのですが、自由に動ける分色んな人と出会えるので、とてもいいなと思いました。また、本当は鉾田市内で活動したかったのですが、なかなかどのように広げれば良いかが分からず、鉾田市内だけでなく小美玉市やひたちなか市でも活動しています。

音楽療法は新しいものなのでなかなか受け入れてくれなかったり、音楽療法士として働くことが出来なかったりと、仕事をする機会や場が無く、なかなか難しいところではあります。また、施設にもっと気軽にコンタクトを取れればいいなと思いますね。

実際に電話だけでなく、ホームページをアプリで作成し、FacebookやInstagramを利用していますが、SNSではその時のやり取りを探すことが大変であったりしますね。

一課題を乗り越えたらどんな可能性がありますか?/ITを使ってできそうなことは何ですか?

鉾田市では、若い人が外に出て行ってしまうと感じるところもあるので、将来鉾田市に戻ってくれるような強みがあったらいいなと思います。やはり好きな仕事ができることが重要なのではないでしょうか。私自身、音楽療法士として地元で働くために試行錯誤をしています。今はまだオンラインをうまく活用しきれていませんが、これから良い方法を模索していきたいと思います。

一今後の目標を教えてください

年齢や障害、病気などの有無に関係なく、鉾田でみんなが集まる場所ができればいいなと思っています。
音楽療法もやっていくなかで、子どもから高齢者まで、親子やおじいちゃんおばあちゃん、なかなか外に出る機会が少ない障害や身体障害のある方、差別や偏見の目に対し家にこもってしまう方もいるとは思うので、そういう方も集まれる場所を作りたいと思っています。そういった活動は実際に少しずつ動いていまして、今度、鉾田市内で子ども向けの親子参加型音楽療法イベントをやります。

イベントでは音楽をメインに製作を入れたり、みんなで演奏したりする時間を作り、そこからいつか少しずつ幅を広げてやりたいなと思います。

編集後記

音楽療法士の資格を取得され、地域の皆様とコミュニケーションを図っている室さん。SNS等を駆使し、鉾田で誰もが集まる場を生み出そうとするその強い思いと行動力から、地元への愛を感じました。
また、組合せ次第で無限の可能性があり、コミュニティをより広げ継続する上でお力になることができれば幸いです。この度はご協力いただき、ありがとうございます。

-コーディネーター紹介-

ID 茨城県鉾田市

くどう せいや

工藤 聖也

2018年 株式会社VSNに入社。以降メカトロニクスエンジニアとして勤務。
2020年 地元である茨城の課題解決や活性化に貢献したいと思い、本活動に参加。