教育と経済が両立する町づくりを

島根県津和野町

しらいし くにひろ

白石 邦広

生まれは米国、育ちは日本・タイ・米国。 津和野町に来る前は、日本に加え、インドネシア、ブータン、ボスニア・ヘルツェゴビナという国々で様々な仕事に従事。2008年から正規社員としての雇われ方をやめ、一つのところにとどまらない先進的な生き方をされている。 2021年3月より津和野にIターンし、高校魅力化PJに参画、現つわの学びみらいのコンソーシアムマネージャーとして、現在に至る。

一どんな活動をされていますか?

「一般財団法人つわの学びみらい」という組織のコンソーシアムマネージャーとして、財団の中でビジョン・ミッション・中期経営計画の策定といった組織作りと、教育と産業の橋渡し役を担いつつ、この町の経済の構造を変えていくという想いを持って、地域を繋ぐ活動に携わっています。

今、地方の子供たちが置かれている環境は、都市部の子供たちと比べ、スタート時点でマイナス要素があると感じています。映画館や美術館が住んでいる町から遠出しないと存在せず、身近に触れられないなど明らかな環境格差や機会格差が存在しています。運動面においても実は都市部の子供たちの方が整備された公園や、運動する機会が多くあり、それが身体能力の差につながっています。これらの課題に対して、高校や保育園、小学校中学校へコーディネーターが入り、彼らが津和野の子供たちへ新しいものに触れてもらう機会や新しい体験の場を財団として用意しています。

また、旧藩校養老館が持っていた、学術・研究開発・武道という三つの機能の現代版を現在の津和野町に復活させる企画を進めています。これは、学校教育とは異なる学びの場を用意することで、教育機会の多様化を目指すとともに、ゆくゆくは教育にとどまることなく、地域の様々な活動の基盤となることを想定しています。

一今やっていることについての課題はなんですか?

短期的な視点では財政課題があると考えています。よく地方自治体の問題を人口で見られることが多いのですが、それはおかしいと思っています。今人口減少が起こってるのは目の前の問題があるからではなく、数十年前から対処してこれなかった結果なんです。

では何ができるのかを考えたときに、人口が減っていく推計は出ているので、止めるのは困難でしょう。人口が減少するという数字を現状と照らし合わせどのように緩やかにしていくのか、残ってる労働人口で高齢の方々をどのように支えていくのか、町としてどうするのか、を考えることになりますが、これは人口問題でなく財政の問題です。現実の問題として、どうやってどんどん増えてく要介護・高齢の人たちを支えていくのか、といった財政・お金の巡りを考えないといけないと思うんです。

また、事象に対する長期的な取り組み方に課題があると捉えています。例えば僕が住んでいる木部という地区の小学校は住んでる子供の数は数えられるほどで、現在全校生徒が20人強。6年後には全校生10人程度になることが見えています。そして、ルール上では、16人定員を割ったら統廃合を検討する対象になるんですね。本当はもっと前に考えないといけなかった話だと思うんですよ。他にも、津和野高校は10年ほど前に生徒数が減少し、統廃合の危機に陥った後に復活した成功例ばかりが取り上げられていますが、“なぜ減少したのか”っていうところには誰もメスを入れておらず、その体質そのものが一番の課題かもしれません。

一課題を乗り越えたらどんな可能性がありますか?/ITを使ってできそうなことはなんですか?

人口減少などの事象に対してなぜもっと前から対処できなかったのか、それは学校の先生や公務員の方もそうですが、2,3年で人が交代する仕組みや、やり残した仕事を次に残しづらい、チャレンジしづらい風土が関係していると思います。

今日の対話の中で、実現できたら日本中で可能性があると思ったのは、公立の学校や県立の高校、役所で人の入れ替わりが起きている中で、その土地が持つ風土・文化をいかに継承させるかをITで実現することです。もしその土地が持つ文化風土をデジタル上で再現し、継承することができたら、地方自治体は変われるかもしれません。

それを現場で使いこなすための支援はこちらでできると思うので、その開発の場として津和野町を活かしていただき、完成した暁には、できれば“津和野モデル”と名前をつけてもらって、それがよそに展開されるたびに利益の5%くらいが津和野に落ちる仕組みができれば財政の問題もカバーできて面白いですね。

一今後の目標はなんですか?

今、津和野で仕事をしている20代30代40代の人たちがこれからのまちづくりのことを考えないといけないと思っています。僕の役職はコンソーシアムマネージャーで、教育を軸に地域を繋いでいくことが仕事ですので、一旦津和野外に行き、民間を経験して、いま津和野で仕事をし、そして実績を持って周囲に認められているような若い世代の人たちをつなぎ、今の現状を見て津和野をどうするのかを考えられるような場作りをしようとしてます。津和野と日原地域で距離も文化も違いがあるため、間を取り持つ活動をここ数ヶ月で始めたばかりです。対流が起きると様々な対話が生まれ、結果、気が付いたらくっついているような将来を期待しています。

編集後記

一歩引いて俯瞰的な目線で物事を論理的に分析する、その一方、家族にとっての優先順位のためには仕事も変えるし住む場所も変えるという揺るがない生き方の軸をお持ちで、このような雰囲気が白石さんの魅力を作っているのだなとインタビューの中で感じることができました。

津和野に来る前は東京で主夫、その前はボスニア・ヘルツェゴビナで事業をされていたという驚きの経歴をお持ちで、傭兵であり根無し草、つねに身軽でいたい、と表現される白石さんが、最高と称される津和野の木部地区にとても興味を持ち、木部へ訪れてみたいと本気で思っています。

白石さんの目指す教育と経済が両立するまちづくりに我々が協力できたらとおもうとワクワクが止まりません!

-コーディネーター紹介-

ID 島根県津和野町

やまさき たつひこ

山﨑 達彦

島根県江津市生まれで3児の父。
大学卒業後の2000年にModis前身のVSNへ入社のため上京。
社内外でメカトロニクスエンジニア、ネットワークエンジニア、社内講師、営業、キャリアサポートなどジョブローテーションを経て、現在はITエンジニアとして電力インフラ関連システムの設計構築に従事。2022年から自身のスキルが社会課題へ通じるのか腕だめし、地方貢献をしたいと考え、地方創生VI2022プロジェクトへ参画する。