はなれても、関わりつづけること。漁師町とひとをつなぐ魚の定期便。

三重県尾鷲市早田町

イシダゲンキ

石田元気

1987年生まれ。宮城県丸森町出身。合同会社「き・よ・り」執行社員。尾鷲市早田町の地域おこし協力隊。京都で大学時代を過ごした後、東京で就職。2014年に尾鷲市地域おこし協力隊へと転職し、活動の中で「合同会社き・よ・り」を設立する。趣味は、魚をさばくこと。

一どんな活動をしていますか?

 尾鷲市早田町の地域おこし協力隊地域として活動する中で、「合同会社き・よ・り」を設立しました。「き・よ・り」では、地域の中で雇用を生むために、その土地の魚を使った商品を通信販売したり、魚のPRイベントとして「さばき会」を開催したりしています。

一はじめたきっかけはなんですか?

 早田町は、約150人が暮らす集落です。この集落を孫の代まで存続させたいという思いから、町の人たちが外の地域から漁師になりたい若者を積極的に受け入れてきました。その結果、若い漁師が増えてきたので、次は漁業以外の働く場所をつくりたいという町の人たちの思いから「き・よ・り」という会社が生まれたんです。  個人としては、東日本大震災のときの津波の映像がきっかけでした。宮城県出身ですが、その当時は関西にいて、テレビで地元の知っている風景が流れていくところを見ました。  知っている風景が一瞬でなくなっていくのを見たときに、自分の育ってきた場所に目を向け直すことが大事なんじゃないかと思ったんです。それまでは海外に行く仕事がしたいと思っていたのですが、海外に行って自分が何をしたいか、わかっていなかった。それよりは、地元にどう関わっていくのかを考えるようになって、仕事とはそうしたものかもしれないと思うようになりました。それが今の仕事に就いたきっかけです。

  • 「き・よ・り」主催の「魚さばき会」。初心者向けに漁師町直送の魚の美味しさとさばき方を伝えながら、早田町のファンを着実に増やしています。

  • 「魚さばき会」などで早田を知ったひとたちとつながりを持ち続ける魚の定期便「うみまかせ」。何が届くかわからないけれど、早田ならではの調理法まで教えてもらえるのです。

一一番大切にしていることはなんですか?

間違ってはいけないと思っているのは、今の活動は自分だけの力でしていることではないということです。早田町の人たちが何百年と続けてきた暮らしがあって、町のために積み重ねてきた取り組みがあって、今の僕の仕事がある。地域おこし協力隊の活動は目立ちがちですが、そうした積み重ねの中にあるということを忘れないようにしたいと思っています。

一今後の目標を教えてください

 関わり続けることです。地域おこし協力隊としての任期が今年の6月で終わり、そのあとは地元に帰ることに決めました。でも、自分が50、60歳になっても早田町に通えるような関係でありたいです。遠いところからでも、早田町に関わる仕事ができるようにしていきたいです。任期が終わったからといって、そこで終わりにするわけにはいかないと思っています。

アピールポイント

【募集中!】
◇石田元気さんが活動中の早田町では、現在新たに地域おこし協力隊を募集中!
 地域おこし協力隊としての経験と魚さばきを直伝してくれるはずです。

 応募締切は平成29年2月28日。
 詳細は以下のウェブサイトにて。

 尾鷲市役所地域おこし協力隊募集ページ    
 http://www.city.owase.lg.jp/contents_detail.php?frmId=14434

◇「き・よ・り」発、海の定期便「うみまかせ」も随時発売中。
 たまーに更新される、ゆるーいノリのブログが面白い。

 き・よ・り公式ウェブサイト
 http://www.amikiyori.com/

はなれても、ある町に関わり続けること。 元気くんが町のひとたちと立ち上げた「き・よ・り」は、それを可能にする仕組みでした。 早田出身のひとたちや、何かのきっかけで早田を知ったひとたち。 そして、地域おこし協力隊の任期満了後は、故郷の宮城県丸森町へ引っ越す予定の元気くん。 はなれていても故郷を思い続けていたように、彼はこれからも早田を思い続け、関わりつづけるのだと思います。 「地元へ帰る」とは言うけれど、遠くへいってしまうような気はしないのが不思議なところ。 元気君に会える場所が増える、そんな感じです。

-コーディネーター紹介-

ID160 三重県尾鷲市九鬼町

とよだちゅうや

豊田宙也

1986年東京生。大学・大学院での哲学的思索のはてに、2014年9月より三重県尾鷲市の漁師町、九鬼で地域おこし協力隊として活動をはじめる。「飲食店がなくなってしまったまちに新たな集いの場をつくる」ことを目的として、食堂「網干場(あばば)」を立ち上げ、地元住民と結成したチームで運営している。任期終了後の定住を心に決めて、2016年度よりは九鬼町内会会長も務めるとともに、食堂「網干場」を中心に培った経験とネットワークを活かした創業を準備中。