いいからかん に人生を開拓する炭アクセサリー作家

群馬県片品村

セトヤマミチコ

瀬戸山美智子

夏は旦那さんと一緒に農薬を一切使わぬ自然農法で野菜を作って販売もしている。冬は、炭焼きや味噌仕込みなど村の伝統的な暮らしを体現しながら、スキーの板やボードのレンタル業も行う。「炭アクセサリー」の製作・販売し、村の伝統的な暮らしを「iikarakan」ブログで発信中。 雑誌「うかたま」にて「いいからかん人生相談」連載中。育児サークル「ムラノコ」の運営など、幅広く活動している、一児の母。

一どんな活動をしていますか?

自然農で野菜をつくって売ったり、炭焼きの手伝いをして、その炭を使ってアクセサリーを売ったり、うたかたっていう雑誌で記事を書いていたり…
昔片品で当たり前にやってた暮らしを体現したいな、農業やって自分の山の手入れして炭を焼いて味噌を仕込んで、そういう暮らし。あと、子どもができて色々変わったきっかけになったのが、仲間と一緒に立ち上げた育児サークルの「ムラノコ」。
私ってほんと何もない状態でポンって片品で暮らし始めたから、ほんと何もないところから直感だけで色々やってきたんだよね。

一はじめたきっかけはなんですか?

20 代前半は渋谷のアクセサリー雑貨店で働いていました。アトピーが再発したのをきっかけに食に関する本を読んでたら、農業や食料自給率の問題について知って「地球やばいじゃん!」って思って。「人を良くする」って書いて「食」。でもその時自分の顔を鏡で見たらすごい嫌なやつの顔してて、ダメじゃんって。ちょうど学生時代の友達も子どもが生まれてきたりしてたんだけど、みんな生活は変わっていかなくて、集まったらピザとか頼んでさ。自分がいつかお母さんになった時にそんなんでいいのかなって思った。とにかく現場を見たい、環境を全部変えてやってみるもの遅くないんじゃないかと思って、24 歳の時にネットで片品のボラバイト(ボランティア+アルバイト)を見つけて、飛び込みました。
最初は家庭菜園をしてるペンションのお手伝い。片品に来て規則正しい生活になった。ただ規則正しい 生活をするだけで、体の調子はいいし気持ちいいんだよね。この生活をもう少し続けたいと思った。 そしたら無農薬で大白大豆(片品に昔から伝わる地大豆)を作ってる豆腐屋さんがあるって聞いて、そこで働きたいなって思って社長に手紙を書いたの。もともと大豆が自給率19%だから大豆作りたいって思いがあって。いつか味噌作りたいなって。  
働きだして、T シャツで農作業すると背中が出るんですよ、エロいじゃないですか。じいちゃん達 大変だよ( 笑)。エプロンとかくれたり、家でごはん食べてけ、とかなって色んな人の家にあがるんだけ ど、どこの家も自分の家で作った野菜でもてなしてくれるの。お母さんがさっきまで一緒に働いてたの に全然疲れた感じじゃなく料理をふるまってくれたりして、こういうお母さんになりたい、ここで実践 して暮らしていきたいって思った。 近所の人にプレハブを借りて住んで、「暮らしの実践勉強」をテーマに「片品生活塾」を立ち上げて。 ボラバイトで知り合った人を受け入れて農作業をしたりし始めました。 そんなことをしてる間に、炭焼きについての話を聞いて。昔は炭焼きをやってたから山も荒れなくて 循環して、循環の為には炭焼きは守るべき文化だって。そしたら、たまたま次に居候させてもらった家 の目の前が炭窯で。見てたらおじいちゃんとおばあちゃんが作業しててがすごい大変そうだったから手 伝ったの。そしたらたまたまその人が黄綬褒章をもらうようなすごい炭焼き職人で。手伝いながら炭ア クセサリーを閃いて作るようになった。おばあちゃんが味噌も作ってたから見させてもらったり。 勉強する為に働いてるんだから何か自分でやってかないと、ただバイトしてお給料貰うだけだったら都会にいるのと一緒じゃんと思ったの。冬の間は横浜に帰ってナチュラル系のお惣菜屋さんとかでバイトしたりして繋がりを作ったり、フリマで炭アクセサリーを売ったりしたら結構評判良かったから、イケるじゃんと思って。 同じように片品に移住して自然農をやっていた男の人と知り合って、パートナーができて。 一緒に暮らす新しい拠点が欲しいと思っていたら、私のやりたいことを理解してくれる村の人が「使ってない場所があるから紹介するよ」って言ってくれた。そこにボロボロの牛小屋があって、壊すのにもお金がかかるからって放置されてて。
その頃、移住の先輩で建築デザイナーの京子さんにも出会って、片品にある京子さんが改装した古民家を見たの。村の風景と調和してて味わいがあるけど新しさもあってすごい素敵で。京子 さんに相談して、地元の大工さんや色々な人に協力してもらって、2 年半かけて牛小屋を改装したのが今の家。設計図もなにもなくて、廃材とかあるものを活かして、はめてったり継ぎはぎしてったり。だからもう一度同じの作りたいって言っても作れない。 「お金がなくても工夫する」っていうのを村のおばあちゃんたちに教わった。 今って、「仕事=お金稼ぐ」って感じじゃん。でもお金にならないことも仕事じゃん、お金がかから ないようにすることも仕事じゃんっていうのを教わった。なんでも自分で作るっていうことは、 やっぱり都会に住んでたらできないし、あるものに対して「これはどうやってできてるか」ってのを 考えたこともなかった。こっちにいると、自分で工夫してどうやったらできるか考える。 それが楽しいし、やりがい。
私たちのお店の屋号は「iikarakan」。尊敬するおばあちゃんたちの口癖が「いいからかん(いい加 減)」で、味噌とか分量聞いても「いいからかんだ」って言われちゃう。 だけどそれって、失敗して何回も作っていくうちにいいところ探せって意味で、それって人生にお いてもいえることだって。 そのころ、田舎暮らしとか流行って、うちに訪ねてくる子も頭でっかちな感じの子が多かったの。 何もやったことがないのに、でもこうじゃないですかみたいに考えちゃう人が多くて。 私だっていきなり炭アクセサリーに辿りついたわけじゃないし、たまたま来たのが片品で、やって くなかで見つけた事なんだから「そのへんはいいからかんだよ」みたいな、「人生いいからかんだよ ね」みたいな。 これからもどうなっていくか分かんないけど、おばあちゃんたちはそうやって開拓して戦後まもな い時から暮らしを作ってきたわけだし、だから自分達もそうやっていこうよって、いいからかんに 開拓していけばいいんじゃないのって意味を込めて。

  • 炭アクセサリー。村の直売所「かたしなや」や温泉「ほっこりの湯」などで販売中。

  • 廃屋と化していた牛小屋を、手作業で生まれ変わらせた家の前で、娘のきこちゃんと。

一一番大切にしていることはなんですか?

実際田舎って子どもは少ない。子どもが少ない分、育児サークルとかもないし支援がなくて、できてるものから選べない。サポートもね、都会だといっぱいあるでしょ、家事代行とか。そういうもうできあがって、整ってる制度はない。自然豊かといっても、道路は車優先で歩ける道もないし、村の子どもたちの遊ぶ場所とかないし…ということに気づいて不満でブーブー言ってた。だけど、あるものに気付いた。家事代行はなくても、移住者の助け合いのネットワークがあって。
私が風邪で寝込んでたらキコをお隣さんがめんどうみてくれて、ごはん食べさせて、お風呂入れて、ねむくなったら帰させるみたいな。そういうつながりがけっこう、いいじゃんみたいな。 子ども中心になると不満とか、ないものの方がめだってたけど、声をあげて自分で行動して、最近思い始めた。はじめてみれば、みんないいひとたちなんだよね。村人。 一時預かりがなくても、隣の人がめんどうみてくれる。昔からの片品の風習なのか、みんなが助けてくれる。 自分たちで助けあったり補い合って人間関係がつくれる、そういうところが好き。
「ない、だからつくろう」っていうのができるのがこの村の良さかなって。 ないからこそ、自分で自由につくることができる。実際、家も、暮らしも、炭アクセもムラノコも、自分で作ってきた。ないものをつくる、生み出すことができるのがこの村の良さ。やりはじめて、活動していくと応援してくれる人がでてきて、楽しくなってくんだよね。人はいい人が多いのが片品村。 かたしなやでごはん食べればおばちゃんたちがきこをかまってくれて。ごはん食べれないくらい(笑)あったかいよね、そういう意味では。
ないものをつくることができるっていうのが、一番強くない?都会なんかさ、地震の時も思ったけどすぐストップしちゃう怖さがある。ムラノコでやってる自然の中で子どもと遊ぶなんてことも、都会の人は高いお金を払わないとできないけど、こっちは自分たちでやればタダでできるんだよ。

一今後の目標を教えてください

今やりたいのが、林業で。この間自伐型林業の研修に行ってきて。 四季折々仕事が一つじゃないのが片品村。 山はこれだけあるのに入れるところがないから、山が身近に感じない。昔は自分ちの山の手入れをしてたけどそれがどんどんなくなっていって。だけど本当は8割が山のこの資源を使わない手はないでしょ。
やっぱりそこに手を入れてその資源を、山を身近なものにして、子どもに残していかないとって思う。 私が片品村に来て、この14年で鹿・猿・熊・猪の獣害がすごく増えてて、昔はそんなんなかったのに。 こんだけ変わっちゃったってことは、やっぱ山に人が入らなくなったからじゃん、ほどよく手入れしてやってた頃はそんなことなかったのも事実だし。やらなくなって、山の入り方が受け継がれなくなって、「素人はできない」ってイメージが強い、林業って。だから、子どもたちに山の管理の仕方とか、その良さが伝えられない。
そうすると、荒れ放題になってくじゃん。人が入って手入れされていけば動物たちが住むエリアと人が住むエリアが共存していけるし、子どもたちがもっと山で遊べたりさ。そういうことを今やってる炭焼きとつなげていきたい。元々農業がやりたくて移住したんだけど農業やってくと、山の大事さに気付くんだよ。そういう風に私のやりたいことも循環していってる。

アピールポイント

美智子さんの目指す姿、カヲルばあちゃんと娘のきこちゃんと炭焼き小屋の前での一枚。
雑誌「うかたま」で連載中の「いーからかん人生相談」は、読者の悩みを人生の先輩、カヲル婆さんに相談し、答えてもらうというはげしく面白いコーナーになってます。
「さすがカヲル婆さん。カヲル節で滅多切りです。みなさんぜひ購入して人生の参考にしてください。最高です。」

iikarakan ホームページ http://iikarakan.81s.net/
美智子さんが立ち上げた片品村の育児サークル「ムラノコ」
http://kibi-dango.jp/info.php?type=items&id=I0000084

-コーディネーター紹介-

「ないものをつくれるのがこの村の良さなんだよ」という語る、その実行力を尊敬します。Iターンの移住者の先輩で、片品に想いのある美智子さん。暮らしをつくって体現していきたいというお話に共感者が多く、地域外への発信力も強いのもうなづけます。子育てにも忙しく、今回もお家、公園、児童館と一緒に移動しながらお話を伺いました。聞けばどんどんおもしろいエピソードがでてきます。今回聞ききれなかった部分もある気がするので、また定期的に掘り下げてお話を伺いたいですね。

ID123 群馬県片品村

なかむらまゆ

中村茉由

1989年5月13日生まれ。茨城県日立市出身。 山梨県、都留文科大学(環境・コミュニティ創造専攻)で地域づくりの基礎を学ぶ。 卒業後は茨城の飲食店で働き、北海道のNPO職員として自然体験や観光地域づくりに関わる仕事を経て、 2015年の春から群馬県片品村で地域おこし協力隊に着任。 2年目からは、NPO法人武尊根BASEのメンバーとして、旧武尊根小学校の廃校利活用事業プロジェクトを進行。 3年目、起業へ向けた準備を進めています。 これまでに関わった皆さんとのご縁を大切にして、素敵な地域暮らしをつくっていければと思います。