400年続く干し柿づくりと地域の絆

島根県松江市東出雲町

フジモトカズヒコサン、セイコサン

冨士本数彦さん、冨士本誠子さん

松江市東出雲町上意東地区でほし柿農家をされている夫妻。この地域は、通称“畑(はた)地区”。各家は屋号で呼ばれており、柿という共通のキーワードで強い結びつきのある地域“神畑”(かんばた)の屋号を持つ冨士本家のご夫婦に地域への思いをお聞きしました。

一どんな活動をしていますか?

ほし柿作り。このあたりは400年以上前から柿をやってたって言われてるんよ。文化6年(1809年)柿小屋の建造の記録が残ってるんだわね。柿小屋っていうのは、ほし柿専用の乾燥場のことね。地区の22軒のうち19軒が干し柿作りしとるの。

一はじめたきっかけはなんですか?

誠子)若い時は、勤めておったけんあまり干し柿をするという気持ちはなかったと思うわね。嫁に来る時、「床の間に飾っておくけん来てくれ」って言われてきたんよ。家付きの跡取り娘だから大切にされていたけどねぇ。育った環境があまりにも違ってたし、ずいぶん大変な思いもしたの。生まれは大根島なんよ。最初は柿小屋の3階から里の大根島が見えるからそれを見ては泣きよったものだったわね。
子どもを育てて、家に根をおろして、やっと干し柿と向き合えるようになったかな。家族もだけれど、畑地区はほんにせまい所だから、隣近所の繋がりが強いの。私が困っていたら誰もが手を差し伸べてくれて教えてくれる。だからここで頑張っていい干し柿を作ろうと思えたんだわ。きっかけになったものはと聞かれるとこれだって言えるかなぁ。 地区が割と広いところからせまいところへきて思うのはね。隣の繋がりだったりとか人の繋がりだったりとか、ここはほんにいいとこだなと思うの。ほんにここだからだけだけん。よそだったらやれてないかも、畑に来てよかったなあ、ありがたいなあと思うわ。

  • 干したばかりの柿たちは鮮やかなオレンジ色がまぶしい。その年にもよるが、11月中旬ごろが見頃です。

  • 干し柿を作るためだけに建てられた3階建ての建物”柿小屋”。秋~冬の繁忙期以外の時期には、ここで柿小屋コンサートを開いたり、農家民泊として活用して地域の賑わいを今後も増やしていく考え。

一一番大切にしていることはなんですか?

【小学生も年寄りも、全員が平等にひとり1票だけん】~地域の中で大切にされていること~
数彦)この地区のまとまりってのはね、その時代時代、やっぱ今で言う森廣公一さんら団塊の世代やああいった方々のお父さん、その前からのリーダーシプってのがすごかったと思うんだわ。地域のリーダーの方がね、自治会組織っちゅうのが明生会(めいせいかい)。うちの『畑干し柿の歩み』にも書いてあるけど。昭和11年に自治会組織が出来たんだけど、その規約なんかに、いわゆる子どもの教育の仕方まで書いてある。その時代からずっと議事録、月例会あるごとにつけたり、いまでも毎年、選挙で必ず代表者(三役)選ぶとかね。私の親父なんかの時には、「あいつが会長なりたいっていっちょーけど、お父さんがいけん」なんて言ってね。一人一票に選挙権があるんだけん。その選挙の日だけは子どもも年寄りもつれて出て、選挙に投票したってのもあったみたい。昔はほとんど道もない所だったらしいけどね、道をつくる為に地主さんみたいな人、親方さんがおられて酒はなんぼでも出すけんやらこいとか。男も女も皆が協力してしたらしい。そういう写真も残ってるけん。

うちと隣と、大正時代に3、4軒火事があってね。水もないところだったけん。何年だったかな昭和のね。色んな村にお願いして消防ポンプなんて言うのをはじめて地区で導入してもらってね。3日間お祝いがあってね。そう言うことをする人、道路をつけようとか。公民館も、地域振興で新島根事業ってのを県内で1番はじめに手を上げたのも畑地区。それから、道路網の整備、水もなかったもんで簡易水道なんかもね、極端な話すると、町内の一部しか水道がない時に畑に簡易水道っていうのが完備された。結構それは役場の要職におられた方の力も借りながらね。

誠子)さっき言ったように、小さな集落だから、毎年の自治会でいろんな役が割り当てられるの。役が決まったら、とにかく「頑張ってやる」みんなで地区を守っていこうという意識の元に団結してねぇ。行事があると子供からお年寄りさんまでみんなで楽しくやるの。ふれあいを大切にしてるけんね。婦人消防隊も島根県代表として、全国大会(東京)に出場したんだよ。わたしも選手で…。

【常に誰かがアンテナを張ってるんだわね。】
今の社会でも情報というのがいっぱい溢れんばかり流れちょうわけでしょ。それを「個人的な利益ではなく、これは地域にプラスになるな」ということをされてきたってのがね。先輩方は「おい、やってみいか」となったときに「お前さんが言うんなら協力しちゃらこい」というのがだんだんなんですよ。認定や助成事業でもなんでも誰かが地域のためのアンテナを常に張ってるんだわね。
この間も、こんな例上げたんだけど。小学校のPTAの役員会の委員長してる時に、学校の先生から「子どもの連絡網に携帯電話とメールアドレスを書いていただくことにご協力頂けますか?」とおっしゃったらあるお母さんが「そんな個人情報どうするんですか!」とおっしゃってね。教室がシーンとなって。わしは「わかりました、お母さん、お宅は書かなくて結構です。連絡してほしい人は皆さん書きましょうね」それで終わった。ああいう人がいると、それは正論なんだけど、結局みんなに強要してしまうようなことがある。こういったのが最近多いんだわ。正論のように言う人がね。畑の場合は「あげ言っちょうけどな、隣の家だけんな」ということで皆を取り込んでやっていくことが自然にできちょる、わしには出来ん先輩方のうまいリーダーシップがあったんだわ。まあ(よその人は)「畑には柿って言う共通のもんがあーだけん」っておっしゃるけど、そういう「共通のもん」を作ったのも先輩たちの強いリーダーシップがあったから出来たと思う。他の集落で「また会がもめて喧嘩だったわ」と言う話を耳にしたりする。何十年も田舎を離れやっと定年を迎え、ふる里に帰郷しても受け皿がなかったりすると行き場がないと思う。だけど、この集落は、子供も年寄りも勿論 Iターンした人もたまに遊びに来る人も誰んも常に一緒だけんね。

一今後の目標を教えてください

地域に賑わいを作ることだわね。いったん空き家が出ると、たちまち廃墟になるが?家は人が住まなくなるとだめだけん。これは町も一緒だけん。いったんさびれると、もうそこからいっくら手をかけてもだめだけん。そうなる前に手を打たなきゃいけん。この地域は昔からほんに想いと吸引力を持ってつないできた地域だけん、それを次の世代に引き継ぎたい。そのためには柿の価値を高めて、所得も上げて、人が歩いてくれるように賑わいを作ることだと思うんだわ。そのためには頑張らないけんだけんね。

アピールポイント

畑ほし柿生産組合のHP
(柿のオーナー制度や交流会の案内も随時掲載しています!)
http://www.hatahoshigaki.jp

-コーディネーター紹介-

ある尊敬している方から、“畑(はた)地区”は女性達がすごく素敵だよ!とお聞きし、集落にある公会堂で行われた飲み会に呼んでいただき参加したことがきっかけでこの地域の女性の方々と知り合いました。心優しい男性陣と、パワフルで仲良しの女性陣の魅力に一気に魅かれました。この地域の人々は柿を作ることを通して、この地域の結束や文化も作っていらっしゃるのだと心から実感しています

ID177 島根県松江市

こんどうともこ

近藤(松本)朝子

岐阜県生まれ、愛知県育ち。小学生の頃から国際交流を日常的に行う家庭に育ち、言葉や文化の壁を超えて共感する喜びや違いを知り合う楽しさを感じていた。米留学や内閣府事業東南アジア青年の船への参加をきっかけに、自分は日本人だと再認識する。東京の通信制高校のサポート校にて不登校児等のキャリア支援や学力支援を行う仕事をしながら、日本の様々な地域にも目を向けるようになった。2016年に島根県の松江市地域おこし協力隊に着任。現在は、“聞き書き”の取り組みや、地域のキーマンと出会うことで自分に在るものに気づくをテーマに“ARUプロジェクト”等を通して、人と人が心で繋がるきっかけ作りの活動をしている。