母から教わったものを次世代へ。心こめて手づくりされるお焼きに込めた想い

群馬県片品村

カサハラムツコ

笠原睦子

1958年1月10日生まれ。群馬県旧利根村出身。35年前に片品に嫁入りしてきました。武尊高校(現、尾瀬高校)出身。村の直売所「かたしなや」で勤めながら、越本地域のお母さんたちで立ち上げ、つくりあげた加工所「せっつぇば工房」にて手づくりのおやきやおもち、赤飯などを手づくりし、販売している。

一どんな活動をしていますか?

越本地域の仲良しお母さんグループが集まってはじまった「せっつぇば工房」で焼きもち、お赤飯、おもちをメインにつくってます。片品村は元々粉文化。母から教わったものを次世代に伝えていきたい。元々主人の好物を商品化してます(笑)一番近くに味のモニターがいるから。私のつくるものは、お焼きとか赤飯とか昔ながらのものだから、買っていってくれるのは60代くらいのおばちゃんが多いんだけど、若者が食べやすいように焼きもちの生地も工夫したり。おんなじ味じゃない気まぐれさが特徴ね。今は、小麦粉だけは違うんだけど他は全部自分と片品の地のもの使って、片品を忘れないのがこだわり。みんな自信を持って送り出せるものをつくってますよ。

一はじめたきっかけはなんですか?

せっつぇばは元々、5年くらい前に野菜を売り始めたのがはじまり。高崎や東京にも売りに行って。そうすると、売れないものがでてくるじゃない?それを加工して売ろうってなった訳なの。私たちには、加工するにあたって、自分たちが何をつくれるかって話をしたときに、みんなでよくたべる「焼きもち」はどうかって。自分たちで仕込んだ味噌つかって、小豆もつくってるし、ねぎもナスも育ててる。地豆の大白大豆の豆乳を使おうとか、今のカタチもみんなで考えだした。
せっつぇばのメンバーって、コアが7人いて、少しづつ増えてきているんだけど。最初のメンバーで、名前もみんなで考えたの。せっつぇばっていうのは、片品弁で家の裏とかにある自分たちの家族が食べるための畑のことで、そういう安心安全な自分たちでつくったものっていう思いがこもってる。
こういうグループは、越本地区で宿をやってるお母さんたちの仲間の一人が認められた、そこから助成金をきっかけにして立ち上げたのが4年前。加工品をつくっていくには建物が必要だ、ってなって村に申請を出して。ちょうどタイミングもよくて助成金がもらえて今の加工所の整備ができた。それでせっつぇばの焼印とか、シールとかもつくったり、研修にも行ったし、先生を呼んでみんなで勉強をしたりもした。その年にかたしなやもできたから、村の産直所のかたしなやと連結して特産の加工品をおろしてくださいっていうのでまいたけバターコロッケをつくったの。それだけじゃおもしろくないから、他に卵を入れて爆弾コロッケ、片品の名産のコーンを入れてコーンコロッケをつくって。でも、イベントでコロッケってもってけないでしょ。その場で揚げられたらいいんだけど。

  • せっつぇば工房の前で、メンバーと笑い合う姿。朝一からお焼きを仕込み、これからお勤めへと参ります。

  • 村の農産物直売所「せっつぇば」にてお焼きやお赤飯のおにぎりなど作った品を販売している。同じくせっつぇばメンバーの仲間と共に。

一一番大切にしていることはなんですか?

自分で言うのもなんだけど、私がつくるまいたけおこわ、おいしいのよ。これをどうにかして売りたいと思って。やっぱり自分の中で自信のあるものってあるじゃない。ゆるぎなくできるもの、自信があるもの。
焼きもちは、親からもらったもので、すごいな、って。親のファンもいるんだよ。焼きもちなんて当たり前だったから、こんなものでいいのかって思ったんだけれど(笑)私が色々食べた中で、親の粉モノがうまかったと思うし、ふかし物で、混ぜご飯とか好きだったし、だからつくれるし、つくりたい・伝えたいと思う。自分で作っているものだから自分のものは愛したいわけよ。
漬物、こんにゃくも計算上はいけると思ったけど売れない(笑)この辺の人はみんなつくれるんだよ。だから売れない。ターゲットを考えないとね。
商品開発っていう名目はあるけど、新しいのっていうよりも、今あるものをもっと大事にしたい。変わらず、このままのかたちで残したいと思ってる。不器用だから、そこからどうしたらいいかわからないんだよ。

一今後の目標を教えてください

今後は、その場で揚げたてコロッケだしたり、色々挑戦はしていきたいのよ。 あまりに私たちは引っ込み思案すぎるかなと思って(笑)儲けたいと思ってるんだけど、確かなものがないわけじゃない。売れるとか。だから、つい、石橋をたたいてしまってこんなもんでいいかで終わってしまっているというか…はげしく売れるって言う経験がないんだ。(笑)
焼きもちも、一回につくる量って限度がある。儲けになんない。もちろん利益が全くないってわけじゃないけれど材料費があって、ガス代があって、シール代があって、仕込んでる時間の事を考えると今のままじゃって思うとこがあるわけよ。つくったものを冷凍にしてイベントで売るとか。工夫が必要。 今やってないけれど、昔国体の時とかに農協がやってて。そこで5段くらいでお焼きを蒸してそれを食べたお客さんが「おいしいね、おいしいね~」って喜んでた顔が忘れられなくて。
今、実際つくれている惣菜部分で喜んでもらえてる部分もあるけど、加工所の許可的にお弁当にはできないの。それをこれからどうやっていくかは、思案中。今の勤めもしながらの状態ではせっつぇばでお料理をつくることだけに従事することも、人を雇用することもできないし、考えがふんぎれないところだね。
弁当で、今は私たち惣菜しかできないけれど、今後そういうことも受ける体制にできて 許可と、人の体制とか人件費がどうにかクリアになっていけば…
お母さんたちも全員が没頭できる人じゃないんだよ。じぶんちが宿泊施設をやっているメンバーも多いし、急に入る仕事が対応できなくなっちゃったんだよね。やり始めたことで地道ながらお客さんもついてきてるし、今はやっぱりかたしなやが基礎なので、今後の展開の考え方なんだけど、やるんであれば、どこかに卸すとかじゃなくて工房で直に売ろうかと思っていて。そのために、施設のことができればね。

アピールポイント

生地も、中身の具もすべてが手づくり、手作業。仕込んであった生地に、小豆から炊いたあんこを包んでいく手際の良さは素晴らしい。「ひとつくらい特技がないとね」といって笑う睦子さんには、この人が作ったお料理を食べたいと思わせるあたたかさがある。
ひとつひとつ生地であんをつつみ、焼き目をつけて、蒸し上げる。仕上げにオリジナルの「せっつぇば」とい文字と村の花である水芭蕉のデザインされた焼印が押される。

-コーディネーター紹介-

その笑顔とキャラクターからつくりだされる料理たちには手ずから想いのこもったもの。ありきたりだけど、この人がつくったものだから大切にしたいと思わせる愛嬌があります。 野菜も、味噌も、手づくり。そこに込められた愛情と想いがもっと外に広がるように見せ方の工夫を協力隊のみんなも関わり合ってやらせてもらっています。切りもちのパッケージをして味噌と一緒にして食べ方を提案する形にしたり、花豆の煮豆のパッケージデザインを手伝ったり。 利根沼田地域でなじみが深い伝統料理であるお焼き。そのつくり方は家や地域によって様々ですが、むつこさんのつくるお焼きは生地が大白大豆の豆乳効果でもちもちしていておいしいです。ついおやつに買っちゃいます。 これからも片品の母さんたちのお料理とパワーを想いをこめて発信していきましょう。

ID123 群馬県片品村

なかむらまゆ

中村茉由

1989年5月13日生まれ。茨城県日立市出身。 山梨県、都留文科大学(環境・コミュニティ創造専攻)で地域づくりの基礎を学ぶ。 卒業後は茨城の飲食店で働き、北海道のNPO職員として自然体験や観光地域づくりに関わる仕事を経て、 2015年の春から群馬県片品村で地域おこし協力隊に着任。 2年目からは、NPO法人武尊根BASEのメンバーとして、旧武尊根小学校の廃校利活用事業プロジェクトを進行。 3年目、起業へ向けた準備を進めています。 これまでに関わった皆さんとのご縁を大切にして、素敵な地域暮らしをつくっていければと思います。