熱い想いを実行し続ける、地域のトップランナー

群馬県片品村

コイシシュンイチ

小石俊一

1963年11月12日生まれ。群馬県高崎市出身。27年前にペンション経営のために片品村花咲地区に移り住む。ペンション経営に加えサッカーのイベント企画、運営を中心に花咲地区にサッカーの大会誘致などを行っている会社アルモンテの経営者。2年前に「片品地域未来振興協議会」を立ち上げ更なる地域の活性化に取り組んでいる。

一どんな活動をしていますか?

原点は、ペンションの経営。春~秋にかけてはサッカーを中心としたお客さん、冬はスキー・スノボのお客さんを中心に受け入れていて、自分もスキー、スノボを楽しんでいるよ。 花咲の地域では、元々ペンション協会がサッカーを中心に小学生に呼び込んでいた。だけど、高齢化とともにだんだんニーズに答えられなくなっていて。金銭的にも挑戦ができなくなっていくよね。クレーのコートじゃなくて、施設も天然、人工芝にしていかないとだめだけど、できない。そういう事から、13年前にアルモンテっていう会社を立ち上げてグラウンドを整備していった。元々自分のペンションでお客さんを受ける合宿中心のスタイルから、イベントの誘致をメインにしていった。そうすると、大会に来るチームが近隣の宿泊を使うから結果的に地域にお客さんを呼べるようになる。そうやって、自分が27年暮らして…そうすると、もう地域どっぷりじゃん。俺も若いころはいっぱい世話になった世代のおじいおばあが老いてきたのを感じて、さまざまな日常の「なんとかならないかなぁ」とかいう思い、今まで生活させてもらってきたこの村で抱えている課題、例えば人口が減ってるとか、子どもが少なくなってきているとかそういうことが、自分が火種となって何かが変わってくれればっていう気持ちになってきた。だから、2年前に新たな挑戦として協議会を立ち上げた。それによって、今までの生活では一生会わないだろうなって人と会えて、また面白みが増してきた。今年はそれがNPO法人化にまでこぎつけたからね。続けていくこと、実現していくことでどんどんまわりから信用されるし、それによってできることが増えていく。でも、俺も歳とってきたから昔みたいにはいかないからもっと若い子たちがやりたいこと、アイディアをいっぱいもってるみんなに頑張ってもらいたい。俺は後ろで支えてる役に回るから。

一はじめたきっかけはなんですか?

俺がサッカーのグラウンドを整備している時に、となりでおじいが一人でマルチ貼りをしてて。端までマルチを張り終わったタイミングで強風が吹いて、バタバターって全部飛んだんだよね。「すけるかいー?」(片品弁で手助けしようか?の意)って言ったんだけど「またイチからやるからいいよー、自分の仕事しろー。」って言われてさ。その時に、この地域どうにかしなきゃって。おじいがひとりでやる状況を何とかしないとって思った。
歳をとって、そういう耕作放棄地だとか、なんとかしなきゃならないものが目に付いてきて。若いころはペンションも子育ても、目の前のことに一生懸命だったから見えなかったものが見えるようになった。次世代のため、子どものために自分のやれることはやらなきゃっていう思いを実現するため。このままじゃ、自分の子どもすら地域に戻ってきてくれないんじゃないかなって思って。もっと、いろんな人がいて、もうちょっとおもしろい地域にしていかないと。このまま衰退しちゃっても困ると思ったし、身の丈でできることをやりたいと思った。ぱれっとも、アルモンテも、協議会も共通しているのは、交流を生んでるところ。人が来て、一緒の体験をして語り合って。基本、さびしがりやだからさ。いつも誰かといたいいし、人が周りにいてくれたりとかそういうのがね。常に若い子たちといると自分も老いずにいられるというか。自分の役割としては、僕のもっている経験だとか、人脈と若い子たちのアイディアを融合していくこと。俺にはできないことを、パソコンでこういうのつくりたい~とかさ、思ったことをぱっとやってくれたりすると、いろんな意味で限界がないような気がして。こういうおっさんがいることによって、これからの挑戦の後押しになっていけば、いろんな広がりが見えてくると思うんだけどね。

  • 協議会の活動のひとつで、遊休農地になっていた土地を協議会のメンバーと地域の人、イベント参加者の都市部の皆さん協力してDIYでハーブガーデンをつくりあげた。今年度もイベントを行い都市農村の交流拠点になっている。

  • 今年で7シーズン使用した人工芝を11月から張替に入る。歩みを止めず新たな挑戦をし続けている。

一一番大切にしていることはなんですか?

満足しないんだよね。 いつも好奇心というか自分が動くと新しい発見があって出会いがあって これができたらいいよなあってとめどなく湧いてきちゃう 止まっていられない自分がいるので 先も考えずガンガン進んでいっちゃう 満足をしないというか、これで終わりっていうのはなくて、過去の人の出会いも経験も含めて継続性が一番大切。
俺の持論で、血と水と人は常に循環している状態が大事だっていうのがあって。血液も水も人も常に流れていることで健全で健康で美しい状態が保てるでしょ。
自分の時代さえよければいい、じゃなくて、人も財産もみんな衰退してっちゃだめだと思うんだよね。できるだけ今やっている事を継続していくことで、「こういう生活をしていけるんだ」って思ってもらいたいし、地元にいる子たちも外の人ともっと交流してこの地域と暮らしを「おもしろい」って思ってもらいたい。そのために自分の役割を果たすだけだよね。カッコよく言うと、俺は安定も保証もない人生をはなから選んでいるから、やり続けなきゃならない。それには終わりがないし、感謝っていう気持ちが常に根底あるから、そこが自分の一番のやりがいかなあ。出会った人に感謝という気持ちをもって、自分ができることを続けていった結果が、地域にとっていいものになっていけば、みんなが楽しいなって思えるようなものにしていくことだね。

一今後の目標を教えてください

これからも、自分のできることを継続していく。11月にまた人工芝の張替をするのもある意味結構な投資だし、挑戦。だけどそれによってまた新しい人の流れをつくることが目的だから。自分がいいと思う事を途中で投げ出さない、継続性を持つこと。後に続く人を育てていくことが目標だね。
ペンション経営とかはまあ長年やってきて落ち着いてきている部分もあるけれど、人工芝も張り替えたし、協議会もNPO法人化して、みんなまだまだやるべきこと、やらなきゃならないことがあるから。それを知恵と足を使ってもっと充実したものにしていく。
NPOを立ち上げて、今年廃校になった武尊根小学校を活用していくことも現実化したし。NPOの活動、運営は本当にこれからなんで、色々確定していない模索状態だけれど。クリアになった時点で、仲間とひとつひとつ現実のものとしていって村の新しい交流拠点になっていけばいいなと思うよね。外から若い子たち、アイディアややりたい子たちがどんどん来て、どんどんやりたいことを実現させて。そうするとおじいおばあも張りがでるでしょ。一緒に作業するだけで刺激が違うんだから。そういう意味でどんどんおもしろい流れをつくっていかないとね。停滞させないように。これからは君たちの時代だから。おじさんは後ろで監督してるから、頑張って。

アピールポイント

2016年四月で廃校となった武尊根小学校。地域に大切にされてきた木造校舎が、村でも区でも管理できないため、解体の危機にあった。 村と区の有志との検討委員会を経て、ここが新たに人を呼び込み、地域への新しい流れを生む舞台となるよう動きが始まっている。

-コーディネーター紹介-

片品村の未来へよりよく、楽しい地域へしていこうという思い体現し続けている姿、かっこいいです。 小石さんがきっかけに、はじまったものや生まれたものがたくさんあります。地域おこし協力隊を呼び込むきっかけも、片品地域未来振興協議会がつくったものでした。 私も小石さんから「やりたい事を実現してみて、やってみて」と背中を押されながら一緒に活動させてもらっています。まずはやってみること。それへのアイディアとエネルギーが下の世代へつながっていき、わくわく楽しい循環がまわっていくと思います。

ID123 群馬県片品村

なかむらまゆ

中村茉由

1989年5月13日生まれ。茨城県日立市出身。 山梨県、都留文科大学(環境・コミュニティ創造専攻)で地域づくりの基礎を学ぶ。 卒業後は茨城の飲食店で働き、北海道のNPO職員として自然体験や観光地域づくりに関わる仕事を経て、 2015年の春から群馬県片品村で地域おこし協力隊に着任。 2年目からは、NPO法人武尊根BASEのメンバーとして、旧武尊根小学校の廃校利活用事業プロジェクトを進行。 3年目、起業へ向けた準備を進めています。 これまでに関わった皆さんとのご縁を大切にして、素敵な地域暮らしをつくっていければと思います。