一どんな活動をしていますか?
NPO法人出雲神話語り部の会の専務理事兼事務局長として活動中。出雲神話語り部の会のメンバーで昨年NPO法人化した。現在会員23人。出雲、松江を中心に神話伝承地や神社などで、これまで約20万人以上の人をガイドされてきた。
一はじめたきっかけはなんですか?
「憧れの先生がおってね。陰からこっそり見ておったの」
「それはどんな先生かっていうとね、『出雲人』って本を書いた藤岡大拙先生。その本には石見人(島根県の石見地域に住む人々)の気質と出雲人(出雲地域に住む人々)の気質のことが非常にわかりやすく書いてある本なんだわ。私は婿養子としてこの地に入ってきてるから、文化の違いに悩んでおってね。その本を読んで、自分の心にピッと入ってきたの。それから藤岡先生の講演を必ず聞きに行きよったんだわね。んー。20年くらい前のことかなあ。先生は学者としても見識も高いし深いし、なにより話がほんっに面白い。それでだんだんだんだん出雲学にひかれていってねぇ。わたしは元々高校の頃から歴史が好きだったのもあって、先生の講義を聞いて出雲の歴史について自分でも勉強をしよったんだわ。そうやって出雲学に興味を持つうちに、島根県がふるさと案内人の研修を始めたんだわ。人材を育成するってことでね。そういうわけで、出雲学研究所に入ったの。その時の仲間が、いまの出雲神話語り部の会の仲間になっているんだわね。それがね、最初のね、出雲学や神話に興味を持ったきっかけかなあ。」
藤岡先生とは交流があるんですか?「ほんとに恐れ多いことだけどね、ある人がきっかけでお付き合いさせてもらえることになったんよ。その人ともね、「あんたと出会ってよかったよかった」そう言ってくれてね。車の中で大笑いしながら乗っておるのよ。ほんに良い出会いが人生にはあるわぁねぇ。
一一番大切にしていることはなんですか?
昔、ちっちゃい頃はね、どっちかというとおとなしい子だったの。だけど、ちゃめっけはあったみたい。ちゃめっけはあってもあんまり人前で話したりはしなかったんね。人見知りしよったなぁ。だけん、こうやって人前で話したりガイドしたりね、やっぱりそういうのは鍛錬や経験があったこそだわね。話さないとできないような仕事についちゃったからねぇ。だけん知識を話すのはいいけどね、日常会話は苦手にしちょったわね。議員をしながら商工会の役員をした後ね、島根県の母子会連合会の職員として母子家庭の就業相談などをさせてもらったりね、底辺に近い生活っていうかね働いても働いても楽にならないっていうね、そういう状況の人とお話してね。私自身の人間の幅っちゅうかね、そういうのを勉強させてもらってね。会社の再建をさせてもらったことと、その母子家庭の人たちとのお話の二つがね、非常にいまの私のガイドする上でもね、染み込んでる部分なんだわね、他の人ではない、高倉のガイドっていう部分がねそういうところにもやっぱりどこか出てるんじゃないかと思うわね。それを大切にしていきたいわね。
【NPOを立ち上げた次の日から歩けなくなった】
NPO法人を申請したあくる日から入院してね。難病のひとつ、膠原病になってしまって。その時はまあなんで私がって思ったけどね。9月10日から歩けなかったの。こんなふうにはね。いろいろな人のお陰でね、歩けるようになって、4月から本格的なガイド活動を始めたの。歩けるってのはほんっとに幸せなことだわね。
【気が体を動かすんだわね】
半年以上リハビリをして、やっと少しずつ歩けるようになって。この4月からはまたガイドの仕事ができるようになってね。ほんに思うのは、「気が体を動かす」ってことだわね。いろんな人に止められよるけどね生きがいが大切だからね。
一今後の目標を教えてください
「語り」「伝える」「つなぐ」「保存する」「普及する」より多くの人たちにこの東出雲のことや、出雲地方島根県全体の文化や歴史を知ってもらいたい。特に子ども、次世代に伝えていきたいわね。
アピールポイント
日本の始まりの原点とも言える神話の、まさに舞台がこの出雲地方にはあります。それをこの地元の子供たちや、この地を訪れてくださる方々に広く楽しく知っていただきたい、そんな想いでこの活動を行っています。また、ただ知識をお伝えするだけでなく、出会う方との対話を大切にして一期一会のご縁を繋いでいきたいと思っています。
-コーディネーター紹介-
70歳を超えてなお成長し続けようとする姿勢、人生を楽しむ姿に誰もが刺激を受ける人柄です。よそ者としてこの地に入り企業の再建や母子家庭の支援など、苦労や困難を経験してきた人だからこそ持ち得る本当の優しさや懐の深さを高倉さんから感じることと思います。私自身が高倉さんと出会わせていただき、その人生観から多大な影響を受けています。いつもありがとうございます。